がんの画期的な治療法が一日も早く確立されることを祈って
楽曲 「夢のかなたに」
この曲は、作詞・作曲ともISAO君によるものです。
ある日、彼は彼の友人である女性が、がんを告知された父親を必死に看病していることを知りました。そしてある時、その彼女がISAO君の前でふと流した涙。彼はその涙に心を打たれ、彼女を励ますためにこの曲を作りました。
ここで少し、私個人の肉親の話をすることをお許し下さい。
私も父親を胃がんで亡くし、父親がわりをしてくれていた叔父も前立腺がんで亡くしました。父親は胃を3分の2、切り取りましたが、麻酔が切れた時のあの苦痛に満ちた表情は、今でも忘れることができません。そしてその手術から二年後、ついに力尽きました。叔父の時は、抗がん剤の影響で髪の毛が抜け、当時まだ50代でしたが、90歳で死んだ祖父のような顔になってしまいました。入院してからの約二年間、必死に叔父を看病した叔母の姿も見てきました。

私には母親が三人いて、実の母と、ある事情で私を引き取り、育ててくれた母親が二人います。実の母親は心筋梗塞で、一人の育ての母は、脳軟化症が原因で亡くなり、二人とも、もうこの世にはいません。
実母が心筋梗塞の時は、本人の強い希望もあり手術を見合わせました。父親が胃がんの時は、当時80歳でしたが、それでも手術をしました。しかし、今となっては、その時のどちらの選択が正しかったのかわかるすべもありませんが、後になってから「もしもあの時、、、」と思ったことが何度もありました。このような経験をお持ちの方も多くいらっしゃるのではないかと思います。
そして、最後にもう一人の母親が田舎で暮らしていますが、一昨年、石油ストーブの火が服に引火し、全身に大火傷を負いました。幸い一命は取りとめましたが、自らの皮膚を移植手術しなければ助からない状態になりました。そしてその手術の日、84歳の高齢の母親が手術室に消えていく姿を見送った時、手を合わせて、手術の成功を祈らずにはいられませんでした。そしてその手術は成功し、今もその痛々しい傷跡は残っていますが、今現在は元気に暮らしています。(2003.11.記載)

* 残念ながら、2010年1月16日、93年の命を全うしてその生涯を終え、天国へと旅立ちました。(2010年、1月記)

今、この瞬間にも闘病生活を余儀なくされている方と、その傍らで必死に看病なさっている方々が数多くいらっしゃると思います。その方々のために、この曲を捧げます。

どうか一日も早い回復がありますように。
そして、がんの画期的な治療法が一日も早く確立されることを心から祈ります。

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